富がやって来る神社、比売大神が座まわす八幡奈多宮へ。
K先輩から、大分行きの航空券をプレゼント
K先輩から大分行きの航空券をプレゼントしていただきました。いつも、本当にありがとうございます。この戴いた幸せな切符を利用をして、大分を旅をさせていただければと思っております。
素戔嗚尊様を祀る、富が来る神社へ。
戴いた航空券を利用してどこに行かせて頂こうか・・・。と大分空港周辺をGoogle Mapで調べてみました。ご利益がありそうな名前の神社を発見!
富来神社 八坂社

富社の由緒について。
こちらの、富来神社の主祭神は素戔嗚尊様。(歴史的仮名遣:スサノヲ、須佐之男、素戔嗚、須佐能袁、須佐能乎)
素戔嗚尊様は天照大御神様の弟神です。なぜ、祀られているのかな?と由緒を拝見させて頂きます。
それによりますと、今から1000年くらいの昔の村上天皇の天徳3年(959年)に常陸国石井大明神の鎌田政弘様が播磨国廣峯神社へ宿願をしに参られ、満願をされた日に御信託を受けました。
その御信託とは、播磨国廣峯神社の神様(牛頭王:素戔嗚尊様)がご自身の分身を作って船に乗せて奉納しなさい。その船の辿り着いた先を守護しますと・・・。
鎌田正弘様は早速、御神勅通りに行ったところ、船は豊後国は国東郡富来浦三つ石の辿り着きました。
辿り着いた先の村人(富来・富来浦・浜崎・堅来・深江・大恩寺の六か村の方々)にそれを伝えたところ、渇仰してこれを迎えらて神饌を備えらえたそうです。

牛頭天王様は、疫病を退散させる神として信仰された神様で、インドの祇園精舎の守護神とされ、日本では素戔嗚尊様(スサノオノミコト様)と同一視されております。ちなみに祇園精舎はお釈迦様が最も長く滞在し、教えを説いた場所です。
石でできた明神鳥居にも牛頭王が掘られた石板が収まっておりました。

牛頭天王が座する境内の雰囲気

鳥居の前で、一礼をし中に入らせて頂きます。
牛頭宮の鳥居をくぐると次は八坂神社の鳥居がありました。八坂神社には、素戔嗚尊様、櫛稲田姫命様が祀られております。八坂神社の鳥居の先は木で覆われてちょっと暗がりになり属界と神界の堺に感じられます・・・。
境内は広く、空は抜けるような青空でした。立派なしめ縄、拝殿の彫刻も見事です。惚れ惚れしてしまいました。
拝殿まで上がれるようなので、拝殿の中に入らせて戴きました。
自分の所在をお伝えし、K先輩のおかげでこちらに参拝させて戴くことができました。ありがとうございます。お伝えをしてから、少し神様にお話をさせて戴きました。神様の声は自分には聞こえませんが、伝わっていたら良いなって思い拝殿を後にしました。




御神木の裏で神様を感じました。
拝殿を後にした後、厄除け、開運 運玉唐獅子の看板が見えたのでそちらに行ってみることにしました。そちらの方には御神木があり、その奥はちょっとした木々が森っぽくなっていました。
唐獅子は別になんてことなかったんですが、御神木裏の木々の中に入ると、身体がめちゃくちゃピリピリして気分がふわぁーって明るくなりました。
隣のトトロでメイがトトロにあった時の感情はこんな感じだったんだろうなっていうくらい木々が生き生きしていました。感謝の気持ちでいっぱいで神社を後にしました。



八幡奈多宮で元国宝に出会う。
素戔鳴尊様が祀られている富来神社から車で30分ほど走り、八幡奈多宮に向かいます。


奈多宮御由緒
御祭神 神功皇后 第三神座 比売大神 第一神座 第二神座 応神天皇
比売大神発祥の地
「比売大神は、先に郡奈多神市杉島に示現される。」(佐八神託宣集)故に古来市杵島は、比売大神発祥の霊地として祀られ、崇敬されている。
応神天皇御在の地
称徳天皇天平神護元年、応神天皇は、伊予国宇和郡より多の浜に着岸、御在の上、ここより宇佐の地へ向かわれる。
多宮創祀
聖武天皇神亀二年、宇佐宮が創祀され、それから五年後の天平元年に奈多宮が祀られる。初代大宮司は宇佐宿公基公、本宮の創祀である。
日本最上八幡初中後廟
永延二年、一条天皇より、初中後にわたり最上八幅であると叡感ましまして、「日本最上八幡初中廟」十字の額を賜わる。
宇佐行幸会
徳天皇天平神護元年、話宣により、壮大な「宇佐行幸会」が創る。勅使が下り、思板が行われる国家的行事であった。宇佐宮に於て新しい御神体が幸造されると、旧都神体が、比売大神を元宮とする奈多宮に還幸される行をいう。
宇佐神宮の分霊を祀る神社であります、こちらの八幡奈多宮。比売大神様、応神天皇、神功皇后の3柱が祀られております。
美しい海岸沿いにひっそりと佇む物静かな神社と思いきや、めちゃくちゃ由緒がある神社でした。
御祭神の比売大神様は、素戔鳴尊スサノヲ様と天照大神様の誓約(うけい)により素戔鳴尊様からお産まれた瀛津嶋姫命様(おきつしまひめのみこと)、市杵嶋姫命様(いちきしまひめのみこと)、湍津姫命様(たぎつひめのみこと)、田霧姫命様(たぎりひめのみこと)の三女神とされ、その降臨された場所が宇佐嶋が市杵島と言われております。
宗像三女神の女神様も祀られているこちらの神社。社殿として創建されたのは、宇佐宮が現在の小椋山に創建された神亀(じんき)2年(725)の4年後の天平(てんぴょう)元年(729)、聖武天皇の耳に入り、宇佐公基に勅令をしこちらを創建されたと伝えられています。
参道の横には三笠宮彬子女王殿下の参拝記念碑と高松宮殿下参拝記念碑が物静かに建ってました。
以前、女王殿下がお書きになられた「赤と青のガウン オックスフォード留学」を拝読した自分は、こちらの神社は殿下も参られる程の格式の高い神社なのか!?とちょっとびっくり。

ちなみに、宮とつく神社は・・・。
宝物殿で大正天皇のお召し物を拝見する。
他にも参拝する方もいなく、静かに参拝をしているとふと、宝物殿が目に入りました。入場料は500円です。
普段、宝物殿には気にも留めないのですが、女王殿下も参拝された宮の宝物殿を拝見してみたいという感情にかられて中に入ったみることに。写真撮影は別途1000円。
写真はまぁ良いかなってな感じで社務所の方にお金を払って中に入れていただきました。
社務所の方と一緒に宝物殿の中に入りますと、大きなお面が、このお面を持って宇佐神宮まで参ったとの事。このお面持って歩いて宇佐神宮まで⁈
山道超えて距離40キロくらいありますけど。

宇佐神宮は以前、車で伺ったのですが山道を通ってやっとたどり着いた感じでした。
他には御神刀が具足一具、御信託集と。すごー!みたいに拝見していたら、木箱に大正天皇御衣と墨で書かれ、下には御羽織、御袴と。えー!大正天皇の御衣がここにあられるのですか?!
社務所の方のお話によると当時、大正天皇の侍従長の渡辺允氏から奉納されたとの事です。こじんまりとしたお宮にこのようなお宝が!
しかも、超至近距離で拝観できる。

ありがた過ぎます!!
富来神社に参拝させて戴いたご利益が早々に!
と、興奮しつつ、奥の部屋に案内してもらいました。社務所の方がパッと奥部屋にあるカーテンを開くと神功皇后、応神天皇、比売大神の御神体三体が!
こちらが本物です。と、宇佐神宮に在るものはレプリカです、と…。

元々こちらの御神体は、国宝に指定されていたのですが、過去の大地震による津波(1596年豊後地震津波)で古記録が流出してしまいました。そのため、こちらの御神体の出処の詳細が不明だからと言うことで、国宝からワンランクダウンをされて国の重要文化財になってしまったのとの事です。
今年、2025年令和7年は、八幡大神様が宇佐神宮の御本殿に御鎮座され1300年を迎えます。そこで、宇佐神宮側から八幡奈多宮へ御神体の三体をお借りしたいとの申し出があったそうです。
しかし、御神体自体が老朽化しておりご移動の際、破損などが発生したら大問題になるのでお断りをさせていただいた。との事でした。
※宇佐神宮の本殿は昭和27年(1952年)国宝に指定されています。
写真を撮らせていただく為に1000円を支払います。社務所の方が社務所に戻られてからもじっくり、ゆっくり拝観させていただきました。
御神体三体に神が宿ります。宇佐宮では6年毎に御神体を新調し、旧御神体は奈田宮へ遷座される習わしでした。
宝物殿を拝観させて戴いた後、拝殿の中にも入れていただきました。
拝殿からご本殿も拝観させていただいたました。
拝殿には、彬子女王殿下が来宮された際の記念撮影が飾らせておりました。
いやもう、独りでめちゃくちゃ感動していました。



奈田の美しい海岸の沖合300mにあります市杵島の岩礁に小鳥居が建てられておりました。その島に比賣大神様が降臨されたと言われております。

別府湾を望む ホテルソラージュ大分・日出
社務所の方にご挨拶をしてホテルに向かいます。K先輩が予約してくださったホテルは、別府湾が一望できる露天風呂があります、ホテルソラージュ 大分・日出。
大分県道643号からそれて山道をくねくね進むと見えてきました。
青空に映える、海を眺め、ゆったりと温泉に浸かり美味しい食事が戴けるホテルそラージュ。


館内にて。
チェエクインを済ませて部屋に向かいます。窓の下にはウォータースライダーがある流れるプールが!その先にはは別府湾が望めました。美しい!!
部屋はコンパクトながら機能的な部屋。ふかふかびのベッドでぐっすり眠ることができました。




長い廊下には途中、夕陽を眺めることができるよう、椅子とテーブルが用意されていました。


グランドフロアには各県の有名な焼き物が展示されていました。ここ、日出町は日出焼が有名とのこと。知りませんでした・・・。
Googleで調べてみますと日出焼きの歴史は江戸時代から始まったようです。日出藩の御用釜として日用品や食器類を焼いていたとのこと。日出藩は豊臣秀吉の義理の甥である木下延俊殿が藩祖です。関ヶ原の戦いでは東軍側つきました。
今度、機会あれば寄ってみたいです。

フロントは広々しており、レストランはその下のフロアになります。レストランの方へ階段を降りるとプールの方へ出られます。

自分が宿泊した日では、プールはまだ営業されていませんでした。※営業は7月12日から8月の全日と9月の土日祝。
インスタ映えしそうな庭に出てみます。別府湾の先には日本製鉄株式会社 九州製鉄所 大分地区が望めました。


レストランSOLISTAにて。
夕食と朝食を戴くレストランSOLISUTAは地下一階です。
席は別府湾が一望できる場所にしました。
料理は、大分の美味しい特産物をふんだんに使ったブッフェ形式です。生しらすやとり天、うなぎのおこわ。アサリの酒蒸し。恵み豚のスペアリブ・・・・。
大分の食の玉手箱が一堂に介してます。
多岐津姫命様、市杵島姫命様、多紀理姫命様も味わったかもしれない、大分の恵みを使用して作られたこちらのお料理。
K先輩のおかげで、庶民の自分が戴くことができました。
K先輩に、本当にいつも感謝しております。
いつも、いつも、ありがとうの言葉しかなく申し訳ないです。
今回、大分は別府だけではないと言うことがよくわかりました。
日出町、ゆっくり散策したいなと思いました。




